父親が亡くなって1週間。
あっという間に、バタバタと過ぎて行った。
仕事もたんまりたまっていて、さあ、そろそろ・・・
と
思ったら、今度は敬愛する高倉健さんの訃報。
父親の亡くなった前日に既に逝かれていた。
2014年の11月は忘れられない月に成ったなあ(-。-;)
哀しすぎます。
健さんの映画で、色々な事を学ばせて頂きました。
ホタルは、毎年、終戦のころに必ず見させて頂いています。
齢80歳を過ぎてもストイックに生きる様は、これからも俺の目標です。
「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」
辞世の句だそうです。
合掌。
まとめとく。
大竹しのぶ 神様みたいな人が神様に
2014年11月18日
俳優の高倉健さんが都内の病院で10日に83歳で死去していたことを受け、映画「鉄道員」で共演した女優の大竹しのぶが18日、お悔やみのコメントを寄せた。
「『鉄道員』での、たった一度だけの共演でしたが十本も二十本も映画を撮ったような、豊かで素晴らしいことをたくさん教えて頂きました。映画人『高倉健』の魅力は、そのまま、人間『高倉健さん』の魅力です。美しく、気高く、そして何よりも優しい健さんを一生忘れません。神様みたいな人が、本当の神様になってしまったようです。淋しいです」と、しのんだ。
加藤登紀子 夫婦役、寂しさでいっぱい
2014年11月18日
俳優の高倉健さんが10日に死去したことに対し、映画「居酒屋兆治」で夫婦役で共演した歌手の加藤登紀子が「生き様のバイブルだった」としのんだ。
加藤は本紙などにコメントを寄せ「60年代に青春を生きた私たち世代にとって、高倉健さんは生き様のバイブルでした」と故人をしのんだ。
また、「それはたった一人でも大きな力に立ち向かっていける人であること、必死で生きる全ての人に心を寄せる熱い人間であること、そして自分自身に厳しく、迷いながら生きるさすらいの心を持ち続けること。亡くなったことを知り、寂しさでいっぱいです。『居酒屋兆治』で妻の役をやらせていただいた思い出、何より大切に、心からご冥福をお祈りします」と締めくくった。
ガッツ石松 健さん、監督の隣で激励
2014年11月18日
俳優の高倉健さんが都内の病院で10日に83歳で死去していたことを受け、米映画「ブラック・レイン」で共演したガッツ石松(65)が18日、読売テレビ系の情報番組「ミヤネ屋」に電話出演し、知られざるエピソードを語った。
訃報に接したのは昼ごろのテレビニュースだったという。「ブラック・レイン」後の交際についてガッツは「電話で話したりしました。私のオヤジが23年前に亡くなったんです。私は忘れていたんですけど、健さんから供え物が届きまして。お礼の電話をしました。そういう人ですね」と故人をしのんだ。
MCの宮根誠司アナから「普段の健さんは?」と聞かれると「けっこう冗談を言います」と、スクリーンからは見えない高倉さんについて語った。「ブラック・レイン」撮影時のエピソードとして「私が撮影してると、監督リドリースコットだったんですが、監督の隣にいて、手をたたいて私に自信をつけさえてくれた」と高倉の気配りに感謝した。また、「相手から話を聞き出すのがうまかったです。スクリーンのイメージは役ですから」と付け加えた。
宮根アナが「調子が悪いことは聞いていた?」と尋ねると、「そういうことは、おくびにも出さない人」と語った。
ガッツは、ボクシングで有名になって高倉さんに会うことが夢だったそうで、「チャンピオンになって、映画に出せていただいた。長男が生まれて名前は健太。健さんの健と、菅原文太さんの太をもらいました」と明かした。
また、「健さんは雲の上の存在。日本人に限らず世界から愛された小田剛一さん。本名です。かっこいいです。初めてお会いした時は蝶々が飛んでいた。後光がさしていた」と振り返った。
健さん幻の次回作も降旗監督と
2014年11月18日
所属事務所の発表によると、高倉さんは次回作の準備中に体調を崩して入院、治療を受けていたところ容体が急変して旅立った。
降旗監督は「残念の一言です。来春の撮影を楽しみにしていましたが、できなくなってしまいました」とコメント。その「次回作」で「あなたへ」に続いて高倉健さんと組む予定であったことを明かし、実現できなかったことを「無念です」と悔しがった。
「あなたへ」は高倉健さんにとって205本目の主演映画で、第37回報知映画賞主演男優賞、第25回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞主演男優賞を受賞した。日本アカデミー賞優秀主演男優賞にも選出されたが「若い人に譲りたい」という理由で辞退した。
板東英二 つい1週間前健さん事務所に
2014年11月18日
「今知ったことで、声も出ません。ただただびっくりしています。つい1週間前に、健さんの事務所に直接お伺いし『また仕事が出来るようになりましたので、いつかご一緒させて頂きたいです。お身体をお大事に』というお手紙を預けてきたところでした。いつもご丁寧な方が、お返事が来ずに不思議だと思っていましたが、驚きで声も出ません」
梅宮辰夫 健さんの訃報3、4日前に
2014年11月18日
俳優の高倉健さんが都内の病院で10日に83歳で死去していたことを受け、俳優の梅宮辰夫(76)が18日、TBS系の情報番組「ひるおび!」に電話出演し、数日前から訃報に接していたことを明かした。
梅宮は「実は3、4日前からそれとなく聞いていた。でも、信じたくなかった。一切口外しなかった。ウソだろう、ウソだろうと。自分に言い聞かせた。後輩から聞いたんですが『デマじゃねえのか』と後輩には言った」と沈痛な声で語った。
梅宮にとって「どういう存在だったか」と聞かれると、「最後のたった1人の生き残りの昭和の映画スター。ああいう人は裕次郎さんが死んじゃった後は健さんしかいなかった。我々の生きがい。非常に悲しいです」と石原裕次郎さんに名前もあげて悲しんだ。
また、「撮影現場は緊張感のあったか?」との質問には、「お亡くなりになったばかり。あまり不謹慎なことも話せませんが…」と言葉を選びつつ、「非常にユニークだった。一つだけ話しますと、昭和40年くらい。夏でした」としてエピソードを語り始めた。「僕が日焼けしていて健さんに会ったんです。『おう、辰夫。焼けてるな。どこで焼いた?』『アパートの屋上です』『ばかやろう!今からスターになろうと思ってんだろ。わびしいこと言うな。それが本当でもハワイとか、バリ島とか言え。そうしないとスターになれないぞ』と。そのお説教はびっくりしました。健さんから最初の教訓だったです」と振り返った。
「今、かける言葉は?」と問われると、「どうして逝っちゃったんですか。それしかない。まだまだ生きて欲しかった。我々昭和の映画俳優の心のよりどころでした」と声を振り絞った。

